4/17/2024

Near and Far





油彩で木枠に張ったキャンバスに描くとき
特に計画もなく白い画面に 気の向くまま描いて
今日はここまで、というところで一旦止まる

また絵が乾いた頃、ここはいらないとか残そうとか
そんな風に、コラージュする近い感覚というか
絵画ながら粘土をこねるようじわじわ続けていると
ふと、「いいやんこれ」っていうのが出てきます

4/10/2024

三歩進んで二歩下がるって感じで

やっとできるようになったと思ったら

また元に戻るようなことの続き。


宇多田ヒカルの新曲Electricityを聴いている。

坂本龍一の最期の日々を映したドキュメンタリー、海外からでも見たいなと待っている。

どちらのアーティストの作品や言葉をきいても、

やっぱり愛は自己をどこかへ突き抜けさせる力があるよね、と感じる。

たくさん技術があっても辿り着くテーマはそこなんだなあって。

音楽ってそういう高揚感、包容力、清々しさが体感できるけど

絵画だとどうだろう。


あ、宇多田ヒカルの夏のライブに当選したら日本へ一時帰国しようと思っていたけれど、

4つ応募したものの全部ハズレだった。

がーん。

まあ、それでも近々一時帰国しよ。


目の前にある世界、どうせ信じるなら

自分に良い見方を選んで信じる。

2/01/2024

色いろ





 昨年11月はイギリスに小旅行をした。たった数日でも自己理解の深まる旅だった。この掴んだ感覚に合うスタイルを探して、帰宅してからいろんな画材を試した結果、色鉛筆で絵を描くのがしっくりきている。

ペインティングを描くときはドッとドーパミン。色鉛筆のドローイングはもっとふわっとしてセロトニンも混ざったような感じ。

2014年頃までも、ドローイングを主に描いていたな。

そういえばウェブサイトを少し前にリニューアルしまして。手法問わず過去の作品色々とアーカイブしているし、新しい作品もちょこちょこ更新しているのでたまに見てネ。https://nozomikoh.nl/

1/23/2024

Marijke

Marijke, color pencil on paper, 29.7 x 42 cm, 2024

2週間に1度くらいの頻度で、マライケという82歳のオランダ人女性と蘭語会話の練習をしている。蘭語を学習中の移民とボランティアで言葉を教えたい現地人をマッチングするサービスを通して、去年の秋頃に知り合った。
正直言って私は高齢者と話すことに慣れていない。昔からの習慣があってか礼儀よく良い子な態度を取らないとと思ってしまい、どうもガチガチに緊張してしまう。そんな私がマライケと定期的に雑談を楽しめているのは何より、彼女と出会った日、何かの話の流れでふと彼女が「私があなたより上とか、あなたが私より上とかない。私たちは対等。」と言ったことが大きい。面と向かって年上の人に、しかも私の祖父母くらいの歳の人にそんなこと言われたことがなかった私に、それはカウンター体験だった。

普段の会話にでてくるのは、お互いの近況、過去、家族やフェミニズム、政治など。マライケは昔アムステルダムで写真のギャラリーを経営していて芸術好きなので、アートの話もちょこちょこする。



昔のマライケ

日本に生まれ5人家族の中育った在日コリアン3世の私と、オランダで第二次世界大戦中に生まれ10人以上の兄弟と育ったマライケ。私たちがアムステルダムで出会って、こうして精神的な繋がりを感じながら会話できる時間は宝物。

1/07/2024

Back to Oz

Spotifyのおすすめで知った。なんだこのエモ曲は。

1/02/2024

芸術をすること

 

Near Camden in London, 105 x 155 mm, 2023

前回は良い絵について描いたけど、私にとって芸術をすることは、

身体に何かを取り入れたら排出することと同じく健康に大切な行為。

それと共に、何かを自分の視点で捉え直すという行為でもあるなと最近体感している。

対象を自分の眼差しで捉え、絵に描く。自由に描いて、自由に生きられる。

その方法は、心理療法だったり哲学だったり他の方法でも行っていて、私はそういうことが好きだし必要としているよう。

大小問わず制作をしている中で私の身体を使って得る視点は、美術館やインターネットなどで他人の立派な作品を通して知る視点とは、質が全く違う。だから自分で生きて描くんだよ。